最早日本人にとって映画は前戯だ


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全世界60億人のフットボールファンのみなさん、こんにちは サイコパス斉藤です。


旅人、哲学者でありながら、さらに映画評論家としての一面を持つぼくが今日は日本映画に一石を投じようと思う。

日本人にとって映画は前戯だ!



目次

最近の邦画面白くなくない?


ぼくは最近といえば洋画しか見なくなり、邦画を見る機会は減った。


それでも過去に素晴らしい邦画作品に出会ってきた。厳選して2つ紹介しよう。

「パッチギ!」

パッチギ!

パッチギ!

日本映画界の問題児 井筒和幸監督の代表作。1968年京都、まだ人種差別が根深かったこの時代に主人公 康介は朝鮮高校に在籍するキョンジャに一目惚れする。しかしキョンジャの兄はその高校の番長であった。二人の恋の行方は…

井筒監督のお家芸であるエロとバイオレンスを巧みに織り交ぜつつ進行するこの物語は、差別とは何か、人種とは何か、人を愛するとはどういうことかを不器用に教えてくれる。そして見終わった後には、爽やかな気持ちと一歩踏み出す勇気を与えてくれるだろう。現代人だからそこ見てほしい、民族間を越えた愛の物語だ。




「誰も知らない」

誰も知らない

誰も知らない

今や日本映画界を担う存在となった是枝裕和監督の衝撃作。1988年巣鴨置き去り事件を題材とした本作は、母親の失踪後、過酷な状況の中、柳楽優弥演じる長男が幼い弟妹と共に生きていく姿を描いている。これが日本社会で起こっている現実なのか、とあまりにも酷な展開に目を覆ってしまいたくなるが、カンヌ国際映画祭にて最優秀主演男優賞を受賞した柳楽優弥の演技は我々に何かを強烈に問いかけてくる。

「考えさせられる」という言葉が受け身で苦手であったがこの映画観賞後一週間は誰しもが自分の家族、日本社会について「考えさせられる」ことは必至だろう。家族との繋がりが希薄な現代、私たちはとても大切なものを当たり前に手放してはいないだろうか。ぜひ一人で観てほしい。


そう、このように素晴らしい作品はごまんとある。


だが最近の邦画はどうだろうか。


主演を見てみると菅田将暉、福士蒼汰、山崎賢人、福士蒼汰、福士蒼汰、菅田将暉…

飽きた。


確かに素晴らしい役者であると思うが、本当に飽きた。テーマも似通った恋愛ストーリー。

それでもティーンたちは熱狂し映画はランキング一位獲得…さながら角砂糖に群がる蟻のようだ。←上手い


なぜ邦画はつまらないのか

ぼくが思う邦画がつまらない理由はいくつかある。


○銃社会でないこと…アクションシーンでどうしても不自然な図になり、洋画と比べてショボい


○予算…やはりハリウッドなどに比べると予算の規模が違うため、どうしても低予算で作れる人間関係物を作りがちになる。それはそれで素晴らしいのだが、暗くぼぞぼそしゃべる映画ばかりだとうんざりする


○カップルをターゲットにしている


これだ。もうダメだ。映画配給会社の狙いは女性客やカップルだ。重厚なストーリーはカップル受けしない。なぜならその後セ○クスしようと思えないからだ。

アフリカの虐殺を描いた作品と、菅田将暉が主演する学園恋愛映画。どちらが観賞後セ○クスしようと思えるだろうか。
答えは言うまでもない


多くの若者にとって映画鑑賞とはデートの一部分だ。

まあそれは全く問題ない。

しかし媚びる必要はあるのだろうか。


日本の映画配給会社は、海外の虐殺や紛争を描いた映画をなかなか買い取らない。なぜなら元がとれないからだ。

利益を追求するのはわかるが、映画本来の目的はなんだろうか。利益を重視して、偏った趣向の映画を上映し続けるこの国を、文明国と呼べるだろうか。カップルのセ○クス前の導入として映画を選ぶこの国を、だ。



なぜ映画を観るのか


ぼくにとって映画を見る目的というのは「他人の価値観に触れること」だ。
他者の解釈に憧れ真似してみたり、納得できなかったら議論したりする。自分の幅を広げる感じが最高に楽しい。


人間は理性の動物であり、この世界に意味を作るために映画や宗教を産み出してきた。そのほうが楽しいからだ。他の動物と違い、世界を物語として捉えることが出来るのは人間の特権であり、最も誇るべき能力だと思う。




ぼくはその崇高な作品を道具に使われているようで、言葉にし難い強烈な違和感を感じているわけだ。

本来映画鑑賞においては映画が主役のはずなのに、脇役になってはいないか?


日本で公開されていない海外の名作はたくさんある。他者の解釈に触れる機会を損なっている。もっともっと映画を見るべきだ。


映画とは制作者の哲学を伝えるための媒体だ。哲学とはその人の人生である。さればこそ我々はみな哲学者なのである。



哲学者諸君、そろそろ本気で映画を観ないか?映画館デートもするがいい。それとは別に他者の哲学に興味はないか?


まず鑑賞者が変わることによって、需要も変化し、さまざまな映画が上映されることに繋がるだろう。


私は日本が多種多様なジャンルの映画が上映される国になることを祈っている。










まとめ

つらつらと不満を書いてきたが、一言で言うと上映開始後に入館するのやめていただけませんか?だ。