人間の生きる意味
〇人間の生きる意味
についてです。暇な人だけ読んでください。
ぼくは大学四年生のころ、このことについてずっと考えていました。
みんな当たり前のように就職して当たり前のように結婚して当り前のように死んでいく。
そもそもなんで生きているのか、ここはどこなのか、自分は何者なのか…そんなことを
考えながら毎日ポケモンしてました。
で、自分なりの持論に行きついたのでそれを披露します。
〇当然だが人生に意味はない
この世のすべての起源をビッグバンとします。
ビッグバンはたまたま起こりました。たまたま起こったビッグバンによって、たまたまできた地球に意味はない。その地球に住んでいる人間の人生に意味があるわけない。
しかし子孫繁栄という本能を持って生まれたため、なにかと理由をつけて生きています。本来犬や猫と同じように、生殖だけ考えて生きていればよいはず。
しかし知能を身に付けてしましました。知能を身に付けたため、生殖のためだけに生きるのダサくね?みたいな感じで、自分たちの人生を崇高なものにしようとします。
事実だけではつまらないので、自分たちの人生に物語を作ろうとします。それが宗教であったり、芸術だとぼくは思っています。
自称「社会的な動物」である人間は、人生の目的をでっちあげようとします。日本でいえば、それはいわゆる「いい大学に行って、いい企業に就職して、いい家庭を持ち、いい老後を迎える」といったルートだと思います。人生意味ないのに。
だから実際何してもいいんですよ。常識とかくそなんですよ。例えばいい年こいてマインクラフトしてたら、笑うじゃないですか?この世界、現実でマインクラフトやってるだけですからね。
〇だからこそ愛おしい人間
で、ぼくが思ったのは人間愛おしいなぁってことです。確かに人間の作った常識とかはくそくらえと思ってます。でもプラスの面はすごい大好きです。
意味のないはずの人生にこんな意味づけして、楽しもうとするなんて愛すべきバカやなぁって思うわけです。
ぼくが映画とか旅をこよなく愛するのは、人間の生み出したプラスの部分を享受したいからです。
人生意味ないやん!→じゃあ死の。じゃなくて人生意味ないやん!→じゃあ自分で意味作ろ!ってなったわけです。ポジティブやん。
ちなみにこの考えがニーチェの肯定的ニヒリズムって後から知りました。時代が違えばぼくはニーチェになれたわけです。
まとめ
そもそも人生に意味があるわけないので自分で作っていこーって話でした。
なにがいいたいかというともっと哲学してほしい、漫然と生きるな、もったいない
旅に出ろ、映画見ろ。ブラック企業はいってしまったら辞めろ。ってことです!