怒られても落ち込まない思考法

こんにちは、サイコパス斉藤です。今日はぼくの持論を聞いてください。

 

 

 

 

 

 

〇怒られて落ち込む必要はない

 

 

ぼくは怒られ、怒られ、怒られてきた。

もうそれはそれは怒られてきた。先生に怒られ、バイトの店長に怒られ、会社の上司に怒られてきた。怒られ名人だ。

 

なぜ怒られているかは重々承知している。

 

誰に何と思われてもよいからだ。テキトーだからだ。人の怒っている顔を見るのは、くせになる。人は怒るとき完全に自分に酔っている。支配しようとし、反省させようとする。

 

 

けれどもぼくには響いていないわけである。怒られているときはその人を「鑑賞」している。声量7点、表情6点、構成5点 総合評価C まだまだ怒り下手。このような感じだ。

 

 

 

 

ぼくの場合は確信犯的にやっているので、落ち込まないというところがあるが、何日も何日も引きずっている人がたまにいる。真面目な人ほど落ち込みやすいので、そんな人に順を追って説明していこう。

 

 

わかっているとは思うが、人を傷つけるなどの反社会行為をした人間に対しては怒るべきである。ぶちぎれて更生させてほしい。

 

 

〇怒る人は経験値がない

 

何故怒るかというと、引き出しが少ないからだ。いろいろ経験している人は、その時々の対処法を理解しているため、丁寧に導くことができる。怒りという感情が産まれない余裕があるのだ。

 

経験が少ない人の場合、自分の対処してきたこと以外のことが起きると、どうすればよいかわからないから怒ってしまうという論理だ。怒る以外の手段がないという状況である。

 

ヤンキーが年々丸くなっていくのはこのためだ。

 

 

 

 

つまりいい年こいて怒っている人は大した人生歩んでないのだ。

 

 

〇怒る必要がない

 

人がどういう経緯で怒るかわかるだろうか。なにか原因があって怒りが産まれキレる、と考えるであろう。

これが違う。人はキレたいから怒りという感情を作るのだ。

 

 

部下がミスをした場合、上司としてはミスをこれからはしてほしくないという目的が産まれる。そのために対策などを論理的に説明しさえすれば、部下も反省し、納得するだろう。本来怒りは登場する余地はない。

 

 

だが浅い人間はそのプロセスをめんどくさがり、怒りという感情を作り、簡単に屈服させようとするわけだ。怒ることが目的ではなく手段となっているのである。

 

 

ねえ、そんなやつのために反省する必要ある?というのがぼくの考え。

 

ぼくは怒られているとき、自分だったらどう導いてあげられるだろうと考えながら怒られる。こんなえらそうなこと言っているが、ぼくには全然経験値がない。なので、もしそういう場面が来た時にうまく橋渡しできるようになりたい。

 

 

というような思想を誰にも言わないので、周りからはなんで平気なの?とよく尋ねられるのである。メンタルが強いわけではない。怒りを分析した結果こうなったのである。

 

 

ここまで読んでみてどうだろうか。怒られてるときにそんな余裕あるわけないと思うだろうか。それならそれでよい。

 

ただいつまでも引きずって、悪循環に陥ってほしくないのだ。真面目な人ほど自分を責める傾向にある。

 

 

 

人に怒られた話はネタにできる、あとでどうみんなに話そうかな?くらいにおもっておくとよい。そして反省すべきところは反省し、自分の糧にしてほしい。

 

 

わかったかな?次怒られていつまでもくよくよしてたら、怒るよ?